02-29
2016
2月も終わりで。
今日で2月が終わる。
冬も終わるという感覚である。
今後の雪も名残雪程度で大勢に影響はあるまい。
3月からは、引渡しの準備と新規着工の段取りが待っている。
冬の間は、なかなか遠出ができなかった。
通行止めになっていた山間の道路も、今年は早めに開通するだろう。
山奥の、これ以上は車が通れる道路がないというところが好きである。
離村した集落や、いわゆる過疎と呼ばれる地域に愛着を感じる。
そのような地域を訪ねることが先だったか、蕎麦の食べ歩きが先だったかは、今となって定かではない。
弥生以前の縄文文化、言い換えれば農耕文化という言葉でひと括りにされない、さまざまな生活文化の痕跡を求めての山間の地域歩きだった。
大和(やまと)に侵略される以前の東北の地、点々と移動する「日の本」という地名、などに興味を抱いているうちに、「単一民族」のいかがわしさや「政治性」に大きな疑問を持つようになった。
「米」に象徴される、あるいはされてきた「瑞穂の国」とは異質な文化の確かな存在。
その典型が「かの」と呼ばれる焼畑ではなかったか。
焼畑で命をつないできた山びとの「蕎麦」に、言いようのない愛着を感じる。
したがって、洗練された都会的なそばよりも、無骨な「田舎そば」のほうがいい。
そばブームの現在は、趣味で始めた脱サラの天狗たちが店を構えるようになった。
わざわざ遠くの山奥に行かなくとも、美味しいそばを提供する店はそこここにある。
当然私も、食べるなら美味しい蕎麦を食べたい。
しかし、ちゃらちゃらした、いかにも若い女性向きという店は好きではない。
春になれば、山奥の、あるいは狭い道路の奥の「もりそば」一品だけの蕎麦屋巡りが始まる。
もちろん、たまにはだが、相客に若い「ソバガール」がいても良い。
冬も終わるという感覚である。
今後の雪も名残雪程度で大勢に影響はあるまい。
3月からは、引渡しの準備と新規着工の段取りが待っている。
冬の間は、なかなか遠出ができなかった。
通行止めになっていた山間の道路も、今年は早めに開通するだろう。
山奥の、これ以上は車が通れる道路がないというところが好きである。
離村した集落や、いわゆる過疎と呼ばれる地域に愛着を感じる。
そのような地域を訪ねることが先だったか、蕎麦の食べ歩きが先だったかは、今となって定かではない。
弥生以前の縄文文化、言い換えれば農耕文化という言葉でひと括りにされない、さまざまな生活文化の痕跡を求めての山間の地域歩きだった。
大和(やまと)に侵略される以前の東北の地、点々と移動する「日の本」という地名、などに興味を抱いているうちに、「単一民族」のいかがわしさや「政治性」に大きな疑問を持つようになった。
「米」に象徴される、あるいはされてきた「瑞穂の国」とは異質な文化の確かな存在。
その典型が「かの」と呼ばれる焼畑ではなかったか。
焼畑で命をつないできた山びとの「蕎麦」に、言いようのない愛着を感じる。
したがって、洗練された都会的なそばよりも、無骨な「田舎そば」のほうがいい。
そばブームの現在は、趣味で始めた脱サラの天狗たちが店を構えるようになった。
わざわざ遠くの山奥に行かなくとも、美味しいそばを提供する店はそこここにある。
当然私も、食べるなら美味しい蕎麦を食べたい。
しかし、ちゃらちゃらした、いかにも若い女性向きという店は好きではない。
春になれば、山奥の、あるいは狭い道路の奥の「もりそば」一品だけの蕎麦屋巡りが始まる。
もちろん、たまにはだが、相客に若い「ソバガール」がいても良い。